■本与板城(与板町)

ここは直江兼続以前の与板城である。室町中期頃越後守護上杉氏の家臣飯沼氏によって築城されたとされる。史料での初見は宝徳3(1451)年であり、以後約60年間活躍したが、1514年の永正の乱によって飯沼氏は滅亡し、代わって直江景綱の支配下となった。彼は謙信の重臣であり、越後忍軍の軒猿の元締めとしても知られている。
彼の没後婿養子の信綱が城主となるもお館の乱後の論功行賞の際のいざこざの巻き添えを食って斬殺された。その後新たに婿養子に入った兼続が城主となったが、彼はその南方に新たに城を築いてそちらに移った。このためそれまでの城を本与板城と呼び、兼続の城「与板城」と区別している。

交通:長岡から与板町歴史民俗資料館まで自転車で約1時間30分、本与板城はそこから約15分

周辺地図:以下を参照のこと(バナーをクリック)

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本与板城遠景 本与板城 本与板城本丸