■石和川中島合戦絵巻2003

其の伍・八幡原(開戦)~戦いの終わり

そして戦いの火蓋は切られた。
まず、先鋒の上杉・武田演出部隊の合戦である。
水際で繰り広げられる阿鼻叫喚…

降りしきる雨の中、折からの増水で腰まで水に浸かっての乱戦は何とも凄まじい限りである。
         


その後、いよいよ、それがし共の出番である。車懸かりの戦法で武田の陣地を突破し、突き崩すのである。


続いて、2度目の車懸かりである。それがしは初めての重装備で全力疾走だったゆえ、息が切れてしまい、かなり参っていた。

しかもこの時からいよいよ写真機もいうことを聞かなくなっていたのである。


いよいよ、この祭りのハイライト、謙信・信玄の一騎討ち「三太刀七太刀」の場面である。

戦いがはかばかしくないのに業を煮やした謙信公はただ一騎で武田陣地を目指して乗り込み、信玄の首を討ち取らんとするが…


「遺恨なり十年一剣を磨き、流星光底長蛇を逸す…」

無念にも信玄の首を取り損ねた謙信公ではあったが、このことで武田諸将の心胆を寒からしめたことは間違いなかったろう…
そして、いよいよ、全軍がぶつかり合う総懸かりである。
播磨隊は全員で宮下隊・武田本隊に当たったが、雨と具足の重さのため、思うように動けない。
致し方なく写真機で戦いの様子を収めようとするも、とうとう写真機が動かなくなってしまった…

肝心な時に何ということであろうか…

そして、激戦の末、戦いは終わった。

両軍の鎮魂の言葉のあと、この戦いは武田方の勝利となった。

そんな莫迦な…(絶句)

聞くところによると、信玄は上杉方の雑兵に取り囲まれて遭えなく討ち取られてしまったということであったが、さてはあれは影武者であったのか…

権謀術数に長けた信玄のやりそうなことだ。

     


大局の勝敗はともかく、我々は勝利したのだ。

戦い切った満足感に浸りながら記念写真を撮る播磨隊。


と、そこに先ほどまで戦っていた武田の将兵が…

あの前立ては…武田勝頼か?!

何と彼が本当の大将だったのであった(爆)。



上杉兵:
「おのれ、まだ生きておったのか?往生せいやっ!」


武田兵:
「こしゃくな! 返り討ちにして呉れむ!!」


そして、ここでも「三太刀七太刀」が再現されたのであった(爆)。

「若、よく見ておくのじゃぞ。」


戦いぶりをじっと見守る若。


かくして、この武田方の影の大将は本庄繁長率いる播磨隊に捕らえられ、そのまま拉致されてしまったのであった(爆)。
その後の消息は…

誰も知るものはいない。
さて、この後は石和南小に戻り、武装解除となった。
着替えの最中に、惟新殿と志摩の守殿が挨拶に来てくれた。
そして近くに居た最中餡十郎殿に口ぞえして頂き、この約1月後に開催の山中城祭りへの参戦が決まったのである。




皆が武装解除となったところで、宮下隊の方々と待ち合わせて石和健康ランドに行くことになった。
途中の石和温泉驛まで弾正隊の明智殿を送っていくことにした。
彼は最初から最後まで我が隊の面々と行動をともにしてくれた。

だが、健康ランドに着いた所で、予期せぬ事態が…

京都から参戦してくれたツバキ殿とありす殿が路銀が残り少ないのだという。
無理もなかろう。

學生にして遠距離の交通費や宿泊費を捻出することは容易なことではなかったはずである。
しかし、高速バスの発車の時間までかなり間が開いているので、ファミリーレストランで食事しながら雑談することにした。
ここで2時間余り雑談に興じた。



       


楽しかった時間は瞬く間に過ぎ、別れの時が。
皆名残惜しそうな様子だった。
またこの面々が集うことはあるのであろうか…

それは天のみぞしることであろうぞ。
      





京都からの隊士・ツバキ殿とありす殿を送り出したところで我々は帰路に就いた。
それがしは新津殿の車に、あとは純井殿と相模守太郎殿の車にそれぞれ分乗し、中央道をひた走る。

どのくらい走ったのであろうか、相模守太郎殿から電話があり、談合坂で休憩しようとのことであり、それがし共も談合坂サービスエリアに着く。

すると、見たことのある一団が陣取っていた。
紋次郎殿では御座らぬか。

宿でもご一緒させて頂き、最後にこんなところで落ち合うとはよくよく奇遇なことよ、と言い合い、しばし談笑する。
ここで太郎丸殿がそれがしの自前甲冑デビューを記念してアイコンを作ってくれるというのである。
誠に忝ない。

そして、ここでも記念撮影を…
         



紋次郎隊の面々と別れたあとはそれがし共は車ごとに別々な道を行くこととなった。
そして、それがしの乗る新津車は国立インターで降り、それがしの屋敷の前を経由し、皐殿の家の近くを経由し、下総の新津邸まで無事帰還したとのことである。

新津殿、気配り誠に忝ないですぞ。
また車を出して頂いた相模守太郎殿、純井殿、誠に忝のう御座りまするぞ。

かくして楽しくも思い出深き2003石和播磨隊の戦いは最初から最後まで素晴らしい盛り上がりのうちに幕を閉じたのであった。

(完)



※ この日の合戦の時の雨で動きにくくなった写真機は武装解除の時に水気を取ったらとりあえず動くようになった。
そして、その数日後は完全復帰したのである。

※ 合戦の約二ヶ月後の6月に都内で打ち上げがあったが、この時も祭りの時の盛り上がりを彷彿とさせる異様な盛り上がりようであった。
その詳細は後日掲載の予定。