■岩手城(柿崎町)

上杉憲顕に付き従って越後入りした宇佐美氏のうち本家は米山東側の平地琵琶島城に配せられ、その分家は西側の岩手城に配せられ、代々この地を治め、上条氏とともに守護上杉氏を補佐してきた。
そして守護代長尾為景が守護上杉氏に反旗を翻した際には守護の側について戦った。
永正10(1513)年に起こった永正の乱の際には宇佐美房忠は守護上杉定実を立て、上条定憲とともに小野城(柿崎町)に拠って戦ったが敗れ、ここ岩手城に後退するもここも落城し一族皆討死にし宇佐美分家は滅亡した。
ただ房忠の息子は伊達氏のもとに逃れたという。

現在、往時を偲ばせるものは何一つ残っておらず、ただ石碑を残すのみである。
すぐ横に米山郵便局が建っている。

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岩手城跡