◆管領塚(新潟県十日町市)

永正4(1507)年、越後守護代・長尾為景は時の守護・上杉房能に対し反旗を翻した。

房能が関東管領・上杉顕定の実弟であることや守護の威光を盾に越後国内の武士たちに対し無理難題を押し付けたことにより、武士たちの守護に対する反感・不満が高まっており、守護代の為景がこれらを代弁する形で挙兵したのである。

守護方の軍は、為景の軍に各地で敗退し、押しやられていく中で、房能は、実家のある鎌倉を目指して逃避行を続けるも、松之山に至って為景の軍に取り囲まれ、もはやこれまでと主従百余名はこの地にて自刃して果てたのであった。



          


■交通:

北越急行ほくほく線まつだい駅からバスで約25分、終点松之山温泉下車し、松之山尋常小学校を目指して歩くこと約15分。小学校の敷地そばである。