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■謙信公御年譜

年号(西暦) 御年齢 謙信公とその周辺の人々の事跡
享禄3(1530) この月の21日、謙信公御誕生。幼名を虎千代と称した。

11 上条城主上条定憲が挙兵(天文の大乱)

天文2(1533) 反為景勢力が府中に乱入、居多神社を焼く

10 為景、居多神社を再建

天文3(1534) 長尾為景方の安田景元ら上条定憲を破る

天文4(1535) 後奈良天皇が長尾為景に御旗を与える

天文5(1536) この年、謙信林泉寺に入る。以後元服まで天室光育を師とし禅僧として修行する。

長尾為景に内乱平定の綸旨下る

長尾為景、嫡子の晴景に家督を譲り隠居、入道する(法号道七)

長尾晴景に内乱平定の綸旨下る

12 長尾為景病没か?
(一説によると為景は天文11年頃まで生存していて晴景を陰で支えていたという)

天文6(1537) 守護上杉定実、再び国政を摂る

天文8(1539) 11 10 上杉定実が曾孫である実元(伊達稙宗の子)を養子に迎えようとし、反対派との間で越後に内乱起きる

天文11(1542) 13 上杉定実が隠居を決意

天文12(1543) 14 謙信、兄晴景より中越を統治するために三条城、ついで栃尾城に派遣される
この頃謙信は元服し、長尾平三景虎と名乗る

天文14(1545) 10 16 黒滝城主黒田秀忠が背く

天文15(1546) 17 謙信、黒田秀忠を討伐する

天文17(1548) 12 19 謙信、春日山城に入り、守護代長尾家を相続する

天文18(1549) 20 上野国平井城に拠る関東管領上杉憲政、北條氏康に攻められ謙信に救援を請う

天文19(1550) 21 越後守護上杉定実病没し、守護家断絶する
ついで謙信、将軍足利義輝より白傘袋と毛氈の鞍覆、塗駕籠の使用を免許され、国主待遇を与えられる

12 坂戸城主長尾政景(景勝の実父)が謙信に反抗、坂戸城に立て篭もる

天文20(1551) 22 長尾政景、謙信に降伏

天文21(1552) 23 北條氏康に居城である平井城を追われた関東管領上杉憲政、謙信を頼って越後に逃れる
謙信、憲政のために越後国府に御館を建設

従五位下弾正少弼に叙任
上洛に備え、朝倉氏や本願寺に誼を通じる
平子孫太郎を関東に派遣

天文22(1553) 24 兄晴景死去(享年42)

武田信玄に所領を追われた村上義清、高梨政頼ら北信濃の豪族らが越後に逃れ謙信に救援を依頼する

川中島に出陣(第一回川中島の合戦)

第一回上洛、後奈良天皇に拝謁し天杯と御剣を賜る

11 堺に行く。本願寺に使者派遣。高野山に参詣。

12 大徳寺徹岫宗九より「宗心」の法号を授かる

天文23(1554) 12 25 越後北條城主北條(きたじょう)高広、武田信玄と通じ謙信に背く

弘治元(1555) 26 北條城を攻撃。北條高広、謙信に降伏

川中島に出陣

犀川を挟んで武田軍と対峙(第二回川中島の合戦)

閏10 今川義元の斡旋により信玄と和睦

11 上杉景勝、長尾政景の次男として坂戸城内に誕生。幼名卯松

弘治2(1556) 27 謙信、家臣らに出家・隠退の意を伝える

師僧・天室光育に出家の意を伝え、高野山に向かう

長尾政景らの懇請を容れ、出家を断念、春日山城に戻る。
大熊朝秀が謙信に背く。駒返で朝秀を討伐。
朝秀は敗れて甲斐の武田信玄を頼り、以後は武田氏の忠実な家臣として仕える。

弘治3(1557) 28 川中島に出陣

信玄と信濃上野原で戦う(第三回川中島の合戦)

永禄元(1558) 29 この年、将軍足利義輝より御内書を下され、信玄と和睦

永禄2(1559) 30 第二回上洛。将軍足利義輝に拝謁

正親町天皇に拝謁し、天杯と御剣を賜る。
近衛稙家に歌道を学ぶ

将軍足利義輝より鉄砲と薬方書を賜る

10 帰国し祝賀の儀式を行う。
諸将、謙信に太刀を贈って祝賀をする。
「侍衆御太刀之次第」

永禄3(1560) 31 初めて越中に出陣。椎名康胤を救援し、富山城主神保良春を攻める。

関東出陣に際し春日山城の普請を命ず。
初めて関東に出陣。
上野岩下城・沼田城を抜き、厩橋城に入る。
謙信を頼り越後に入った近衛前久を厩橋城に招く

永禄4(1561) 32 北条氏の居城・相模小田原城を包囲

閏3 小田原城から撤兵。
鎌倉に立ち寄り鶴岡八幡宮社前にて関東管領上杉氏を相続、上杉憲政の一字を拝領し、「上杉政虎」と改名する。

鎌倉で能楽を催す

川中島に出陣(第四回川中島の合戦)

11 関東に出陣。武蔵生山で北條氏康と戦う。上野厩橋城に入り越年

12? この頃将軍足利義輝の一字を拝領し、「輝虎」と改名する

永禄5(1562) 33 甥顕景(景勝)に習字手本を与える。
上野館林城を攻略。
府内・春日の火の用心・春日山城の普請を厳命。

下野唐沢山城攻略。
上杉憲政・近衛前久とともに帰国

12 関東に出陣。上野厩橋城にて越年

永禄6(1563) 34 騎西城を攻略

常陸小田城、唐沢山城を攻略し帰国

林泉寺住持天室光育没

飯塚八幡宮に武田信玄と北條氏康の調伏を祈願

12 関東に出陣。上野厩橋城に入り、越年。

永禄7(1564) 35 常陸小田城、下野唐沢山城を攻略

春日山城の普請と居館の鞍の代物を実城の蔵に移動させる。

武田信玄調伏の祈願文を弥彦神社と春日山城看経所に納める

坂戸城主長尾政景、舟遊びにて溺死

更科八幡宮に武田信玄の調伏を祈願。
川中島に出陣(第五回川中島の合戦)。
春日山城の大門・大手門の築造を命ず。

10 関東に出陣。下野唐沢山城を攻略し、翌月帰国。

永禄8(1565) 36 越前の朝倉義景、謙信に救援を依頼

一条院覚慶(足利義昭)、居多神社花ヶ前宮内大輔に書状を出し、謝す

11 関東に出陣。安房館山城主里見義弘参陣。

永禄9(1566) 37 常陸小田城を攻略

下総臼井城を攻略

帰国

越中に出陣。増山城を攻略。

11 関東に出陣

12 上野沼田城に入り越年

永禄10(1567) 38 常陸の佐竹義重らに参陣を要求

帰国。上野厩橋城主北條高広、小田原の北條氏政に通じ、謙信に背く。

12 駿河の今川氏真、謙信に救援を依頼

永禄11(1568) 39 椎名康胤、謙信に背く。
越中に出陣。金山城を攻略。
帰国。

この月の7日、生母・虎御前没

10 習字の手本、「いろは」を書く。
本庄繁長を討つために本庄城へ向かう

11 謙信に背いた本庄繁長を攻略

永禄12(1569) 40 地下人に対し、槍、縄、鉈、鍬を持って参戦した者には褒美を出すという触れを出す。
足利義昭、智光院頼慶(居多神社神主・花ヶ前盛貞の子・家盛)を謙信に遣わし、織田信長の補佐の元で甲越の和睦を斡旋する。

閏5 北條氏康と同盟。
国内に棟別銭を課し、伊勢大神宮の遷宮費とする。
椎名康胤、謙信に背く。
越中に出陣

11 魚津城将・河田長親、居多神社神主の花ヶ前盛貞に宮津八幡宮の社職を与える。
関東に出陣。上野沼田城に入り越年。

元亀元(1570) 41 北條氏康七男・三郎を養子とし、代りに柿崎景家の一子晴家を人質として小田原に送ることにする。


沼田城で三郎に対面、父子の義を結ぶ。
春日山城に帰り「景虎」の名を与え、長尾政景の娘と娶わせ、二の郭に住まわせる。
時に景虎、17歳。

12 春日山看経所に越中平定の祈願文を納める。
この頃から法名・謙信を名乗る。

元亀2(1571) 42 徳川家康、新年を祝して謙信に太刀を贈る。
越中に出陣。椎名康胤の富山城を初めとする城を攻略。

帰国。
伝馬と宿送の印鑑を定める。

浅貝寄居城を築き、上田衆に守らせる。

12 関東に出陣し、武田信玄の属城・石倉城を攻略し、厩橋城で越年

元亀3(1572) 43 北條氏政、謙信と同盟を破棄し、武田信玄と和す

閏1 上野石倉城を攻略。武田・北條軍と利根川を挟み対峙。

帰国

越中に出陣。富山城を攻略し、一向一揆と戦う。

春日山城の警備を厳命

10 富山城を攻略

11 織田信長、武田信玄との同盟を破棄し、謙信と結ぶ。
信長、子息の一人を謙信の養子とすることを誓約。

天正元(1573) 44 越中に出陣。一向一揆と戦う。

帰国

春日山城実城、二の郭、三の郭に塀を築造

越中に出陣。一向一揆を鎮圧。
加賀に出陣。朝日山城を攻略。

12 帰国

天正2(1574) 45 関東に出陣。上野沼田城に入る。

織田信長、謙信に「洛中洛外図屏風」を贈る

北條氏政と利根川を挟み対峙。由良成繁の金山城を攻略

帰国

関東に出陣し、北條軍と上野黒川谷、御覧田で戦う

11 金山城を攻め、忍、騎西領内に放火

閏11 帰国。

12 剃髪・出家し、法印大和尚に任じられる

天正3(1575) 46 甥で養子の顕景に景勝の名を授け、「弾正少弼」に任じる

諸将の軍役を定めた「上杉家軍役帳」を作成

春日山城で連歌会を催す。
北條氏政討滅を毘沙門天に祈る。

本願寺の顕如光佐、謙信に救援を依頼。

天正4(1576) 47 日の宮城主・神保長職の要請に応じ、越中に出陣

本願寺の顕如光佐と和睦

越中に出陣。栂尾城、増山城を攻略

11 加賀四郡を平定

12 能登に出陣。七尾城に包囲。
能登石動山城を築き、直江景綱らに守備を命ず。

天正5(1577) 48 北陸への出陣を目論み、諸将を召集する。
能登の平定をしようとして越中に出陣、魚津城に入る。

閏7 七尾城を攻略。
長綱連、織田信長に救援を求む。

七尾城を包囲中、「霜満軍営秋気清」の詩を詠んだという。
末森城も攻略。
湊(手取)川で織田軍と戦い、撃破する。
七尾城落城。
七尾城に入城し、鰺坂長実と遊佐続光に守備を命ず。

10 能登諸城に制札を掲げる

12 領国内諸将80余人の名前を列記した動員名簿「上杉家家中名字尽手本」を書く

天正6(1578) 49 関東出陣を準備

寿像と「四十九年一睡夢、一期栄華一杯酒」の遺偈を作る

発病、昏睡状態が数日続いた後、13日に御逝去
法号「不識院殿真光謙信」




参考図書:歴史群像シリーズ・戦国セレクション「上杉謙信」(学研)
図説「上杉謙信と上杉鷹山」(花ヶ前盛明・横山昭男著・河出書房新社)