■越後守護代長尾氏発祥の地・長尾台

●歴史:

越後守護代・長尾氏は相模国鎌倉郡長尾庄にルーツがある。

平安時代に源義家に従って後三年の役で活躍した鎌倉権五郎景政の子孫がこの地に住み、長尾次郎を名乗ったのに始まる。

源平争乱の際には時の当主であった定景は平氏側につき、石橋山の戦いでは真田(左那田)与一義忠らを討ち取るなどの活躍をしたものの、平氏の滅亡後には源氏方によって捕らえられ、斬罪に処せられることとなった。そして自らが討ち取った真田義忠の父である岡崎義実の元に預けられたのである。

しかし、義実は長尾定景が覚悟を決めて自分が討ち取った者たちの菩提を弔うべく毎日法華経を熱心に読誦しているのを見て次第に子を殺された怨みの心が薄らぎ、ついには頼朝に定景の助命を嘆願するまでになったのである。

こうして定景は罪を許されて義実の本家である三浦氏配下の御家人として新たに仕えることとなったのである。

また定景は三浦義村の命により将軍実朝を討ち取った公暁を殺したことでも名高い。

だが、宝治元(1247)年の宝治合戦に北條時頼の挑発に乗せられた三浦氏と共に戦い、一旦は滅亡することになるのである。



●史跡の現況:

さて、史跡はJR京浜東北線大船駅の西口からさほど遠くはないところにある。
長尾砦・居館跡へは西口を出ると右方向に道なりに進み、陸橋の手前で左に曲がり丘の上を登っていくと程なくたどり着く。
正直言って遺跡らしいものは何もなく、居館跡には御霊神社の敷地とゲートボール場、また長尾砦跡は何の変哲もない田畑となっている。
しかし、ここを400年前の関東遠征の際に上杉謙信公が訪れ、またさらに400年後の現代にそれがしが訪れたと思うと感慨深いものがあった。

徒歩15分、バス5分


一方、久成寺へは西口から左へいくバス通りを行くとたどり着く。
寺紋には三つ葉葵の紋章も使われており、格式が感じられる。境内には長尾定景一族の墓がある。
これはもと長尾台にあったらしいが、後世に現在地に移されたものという。
また、松平甚之助新兵衛(駿河大納言忠長に仕えた人物)の内室の墓もある。

徒歩20分、バス5分

周辺地図:以下を参照のこと(バナーをクリック)

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長尾砦遠景 長尾砦から臨む





長尾氏居館跡(現在御霊神社が建っている) 日蓮宗久成寺山門
開祖・日蓮聖人 長尾定景公一族の墓





公の墓前にて襲名の挨拶をするそれがし