■坂戸城(六日町)
越後第二代守護代長尾景恒の長子新左衛門尉の子孫は代々この地に勢力を張り、上田長尾氏と呼ばれた。長子の子孫であり、越後守護上杉氏に直接仕える立場もあって国府長尾氏すなわち守護代家とはことあるごとに反発してきた。謙信が兄晴景と対立していた時から守護代に就任した直後にかけて上田長尾房長、政景父子は守護代に反旗を翻していたが、やがて降伏し罪を赦されてからは謙信の家老として粉骨砕身して仕えた。
しかし政景は宇佐美定満と舟遊びの途中船が転覆し溺死、その遺族は謙信のもとに引き取られ、上田の城地は直轄領、そして上田衆五十騎は危険な前線に飛ばされるという有り様となった。
このことによりこの事件は謙信が宇佐美に命じて暗殺させたという謙信黒幕説も当時からささやかれていたというが真相は定かではない。
上田衆にとっては苦難の日々を過ごすことになるが、政景の次男顕景(景勝)が謙信の養子の一人として迎えられ、お館の乱で景勝側が勝利するに及んで上田衆は日の目を見ることとなった。この上田衆の中において最も有名な人物がかの樋口兼続である。のち直江の名跡を継いで景勝の家老として民政その他に手腕を振るった人物である。
さて城跡はJR六日町駅から歩いて20分、橋を渡ってホテル坂戸城の側の道を抜けていくと堀跡が見えてくる。そこから緩やかな坂道をしばらく登って行くとスキー場のゲレンデ(夏場はゴルフ場)に出る。
そこを横切って登っていきリフト降り場のすぐ上に景勝・兼続生誕の地の石碑が建っている。ここから頂上へは遊歩道の整備工事中ということもあり、行くことが出来なかった。
諦めて来た道を下り麓までたどり着き、もう一本の頂上への道を見つけた。再び登ろうとするもしばらくして雨が降って来たので仕方なく断念し引き返した。
そのあと景勝の実父長尾政景の墓に詣でた。ここは坂戸城の山麓にある緑の木立のなかにある。道路の横に標識があるのですぐわかるであろう。詣でてみてそれがしは政景が息子の立身出世をどういう思いで見ていたのかと感慨に浸っていたのであった。
周辺地図:以下を参照のこと(バナーをクリック)
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坂戸城遠景 |
家臣屋敷跡 |
坂戸城城主居館跡及び
上田衆五十騎発祥の地 |
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居館跡の石垣 |
居館跡 |
上杉景勝と直江兼続生誕の地 |
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景勝生誕の地から城下を望む |
景勝の実父長尾政景の墓 |
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