■館主紹介(永禄11・1568~ )
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■館主所有装束一覧 それがしが時代祭りなどで着用する装束等を御紹介致しまする。
それがしの事跡は以下の史料に記載されておりまする。 ■東犀川三四郎憲哲 永禄11・1568年?8月27日~平成27・2017年3月13日? 戦国時代・平成時代の武将・茶人・陶工。 東犀川上杉氏の祖。上杉憲哲とも称す。本名は一説に憲鉄とも。のち出家入道して豊州坊日倫(ほうしゅうぼう・にちりん)とも号す。 平成時代に書かれた「北越軍記外伝」ならびに「続・豊薩軍記」にその名が見える。 ◆「北越軍記外伝」に見える三四郎に関する記述: もとは桓武平氏の一族であった上杉謙信公の遠縁として永禄11(1568)年に越後で生まれ、謙信公の影武者のそのまた影武者を務め、長尾氏ならびに上杉氏を名乗ることを許され、上杉播磨守定景と名乗る。 もっとも、生年については異説もあり、永禄初年もしくは天文年間に遡るという意見もある。 その理由として、謙信公が没した年に定景はまだ10歳の児童だからというのである。 この辺の事情はよく分からない。 ともあれ、天正6(1578)年に謙信公が没したのちはその後継者たる景勝公に仕え、軍功を立てるも、関が原の合戦の直前に失踪。 ここで北越軍記外伝に書かれている定景の記述は途絶える。 真相は彼が戦から凱旋している時に、宇宙から飛んできた謎の火の玉に遭遇し、遭えなく落命してしまったのである。 その火の玉の正体は、N1568星雲からやってきた正義の宇宙人・カゲトラマンの乗っていた宇宙船であったのだ。 カゲトラマンは、宇宙関東管領の命を受け、地球に落ち延びる宇宙山賊を追っていたのだが、途中でエンジンの故障により、地球の日本・越後国の山林に不時着しようとしていて、誤って定景を死なせてしまったのである。 彼は深く悔やみ、彼に自らの命を与えて一心同体となることで、共に地球の平和を守ることを誓ったのであった。 しかし、地球で戦うという決意を固めたのもつかの間、カゲトラマンの故郷であるN1568星雲はシンゲンマンやウジヤスマンに脅かされていた。 宇宙関東管領も、その星を追われるという事態。 カゲトラマンは急遽星に戻り、敵たちを駆逐するとともに、宇宙関東管領の座に就任し、更なる戦いに身を投じなければならなくなってしまったのである。 ………。 やがて、地球では400年の歳月が流れた。 定景やカゲトラマンの存在は地球ではすっかり忘れ去られてしまっていた。 何よりも重大なのは彼には平成の世に必要な戸籍というものがなかったことである。 思案しているカゲトラマンの前に、謎の老人が姿を現し、言った。 江戸に在住の上杉氏支族に、三四郎なる定景によく似た者がいるが、その者が実は前日に交通事故にあい、頓死してしまっているというのである。 無論急なことなので家族はもちろん周りの誰も知るものはいない。 老人は、定景に対し言った。 これを機に三四郎の戸籍を乗っ取り、成りすまして生活すればよかろうというのである。 なぜ、この老人は自分の困惑を知っているのだろうか? 一体何者だろうか?とカゲトラマンはいぶかしんだ。 老人は、それを見透かしたように、フォフォフォ…と笑い、わしは毘沙門天じゃよ、と言ってふっと姿を消した。 老人のアドバイスの通りに定景は平成人として三四郎の戸籍を入手し、三四郎になりすましてその時代の者として生活することになったのである。 平成11年頃から再び外伝に記録が現れる。 この頃には往年の記憶を取り戻したものと思われる。 平時は会社員、有事の際には武装し、関東近辺の戦場にて武功をあげる。 だが、平成19(2007)年、故あって身柄は豊後国大分郡に配流された。 北越軍記外伝における三四郎の記述はここで途絶える。 ◆「続豊薩軍記」における三四郎の記述: 豊後に流された三四郎は、豊前国田川郡の犀川荘の東半分の名目的な領主とされ、領地の名を取ってその名を東犀川三四郎憲哲と改めた。 豊後国での三四郎は流人とはいえ、あくまでも軍役を負担する武士であり、有事の際には武装して戦場に駆けつける一領具足の士として現在に至る。 また、豊後に流されて失意のどん底にあった三四郎は出家入道して豊州坊日倫と号し、再隆山璃遍寺(りべんじ)なる一寺を建立し、その開基住職となった。 ◆参考文献:北越軍記外伝 続・豊薩軍記 |