■栖吉城(長岡市)

越後第2代守護代景恒の次男で3代景春の子孫は古志郡代として蔵王堂城を本拠にこの地一帯を支配した。
明応年間(1492~1501)に蔵王堂城から栖吉城に本拠を移し、古志長尾氏を称した。
この家は謙信の母虎御前の実家でもあり、越後国内では発言力も強かった。このためか上田長尾氏とは度々対立もしている。
謙信時代の当主は長尾景信であり、のち謙信とともに上杉に改姓している。家中においては重きを成しており、軍役帳では十郎殿して一門衆に名を連ねている。

だがお館の乱では景虎に与し、景信は戦死するに及び古志長尾氏は滅亡する。
乱後景勝の番城となるが、彼の会津転封により廃城となった。

麓には古志長尾氏と長岡藩主牧野氏の菩提寺である曹洞宗寺院・栖吉山普済寺がある。ここには寺宝である初代牧野忠成公の木像、牧野氏累代の位牌ほか牧野忠成公の墓、北越戊辰戦争の際に若くして散った少年隊士の在名碑があり、一見の価値はある。
尚、西方には栖吉神社があり、そちらにも登り口がある。

交通:JR長岡駅から普済寺まで自転車で30分、そこから本丸まで約1時間。

周辺地図:以下を参照のこと(バナーをクリック)

mapion


栖吉城遠景 普済寺入口 栖吉長尾氏と長岡藩主牧野
氏の菩提寺栖吉山普済寺
初代長岡藩主牧野忠成公の墓 栖吉城大手道 栖吉城本丸
栖吉城二の丸 栖吉城三の丸