■野母商船・太古丸乗船記



総屯数:1272屯 / 全長:86.95米  / 型幅:13.8米
航海速力:19.0ノット(時速換算・35.2粁) / 航行区域:沿岸
旅客数:350名 / 収容車両数:トラック換算14台
竣工:1992年9月 臼杵造船所
航路:

下り・博多~宇久平~小値賀~青方~若松~奈留~福江

上り・福江~青方~小値賀~宇久平~生月~博多


◆序章

2006年8月に五島を訪れた際、行き帰りに利用したのが野母商船の太古丸である。

この船は博多を深夜の0時に出港し、早朝に宇久平、小値賀、夜明けに青方、若松、奈留に寄港し、福江には9時に到着するという至便なダイヤで割と人気がある。

また、カラオケ室、ゲームコーナー、軽食コーナー、シャワー室などの船内の設備も充実しているのがよい。





◆博多から福江へ

2006年7月30日夜にかの大垣夜行で東京を出立し、各駅停車で博多まで乗り継いできたのであるが、途中の列車の故障により当初の予定より大幅に遅れ、博多に着いたのは23時を廻っていた。

博多駅から、持参してきた折り畳み自転車を組み立てて博多港まで直行するも少し道に迷い、ターミナルに着いたのは23時40分である。

本来はこの時間には乗船手続きを完了していなければならないのであるが、船会社の方にせかされ、何とか乗ることが出来た。

もう少し到着が遅ければ乗船は出来なかっただろう。危なかった…

その為、出航間際の船の写真も撮れなかったのが残念である。


船室はかなり込んでいてそれがしが乗った二等船室も寝場所を確保するのがやっとの状態であった。

しかし、年末の瀬戸内海の連絡船のひどい混雑に比べればまだましというものだろう。


0:01 定刻に博多港を出ると船は真っ暗な海を一路西に向かう。

その真っ暗闇の海に蛍のような灯かりが海に浮かんでいる。

漁船だ。

こんな時間に操業しているなんて、一体何が採れるんだろう??

博多の街は暑かったが、甲板の上は心地よい風が吹いて気持ちが良い。

このまま寝てもいいくらいだ。

自動販売機で麦酒を2本買い、甲板で呑みながら夜空の星を数える。

何とも浪漫ちっくだ…



そうするうちに眠くなってきたので、船室で休むことにする。


ふと目が覚めた時には宇久平に着いていた。

時計を見ると4:10。

別段寝心地が悪かった訳でもないのだが、何故目が覚めたんだろう?

やはり父祖の地にやってきたということでその血のなせる業なのだろうか…

夜はまだ明けておらず暗い。

乗り降りする人も殆どいないようだ。

4:20 定刻に宇久平を出ると東の空が少しずつ赤くなっていくのが見えた。

六島や野崎島の影が見えて来るのが分かる。



そのうちまた眠くなってきたので小値賀に着くのを待たずに船室に入りひと寝入りした。



再び目を覚ました時には青方も若松も過ぎていた。

あれほど込んでいた船室もいつのまにかがらがらに空いていた。

やはり小値賀や青方でかなりの人たちが降りたのだろう。


空は抜けるような青空であり、大小の島々が美しい。


8時過ぎに奈留に到着。


数名の人が降り、数名が船に乗ってきた。

その中にカトリックの尼僧もいたのが、いかにも五島らしいと思った。

8:20 定刻に奈留を出ると程なくして福江島が見えてきた。

地図を見ながら周りの島の名前を確認する。近くには久賀島、さざえ島、そして彼方には椛島、進行方向と反対側を見渡せば何と中通島まで見渡せるではないか。

誰か五島列島のことを音楽のような島だと言った人がいたようだが、蓋しその通りだと思う。


そうして9時ちょうどに福江に入港し、目的地に着いたのであった。





◆福江から宇久平へ

8月3日、少し早めにターミナルに到着し、お土産を買い、切符を買って乗船手続きをし、余裕を持って船に乗り込む。

本来はそれが当たり前なのだ。

平日のためもあってか、上りの船内はさほど乗客は多くはなかった。

10:40 定刻に福江を出航。

たった2日あまりだったが、思い出の多い福江を離れるのはちと名残が惜しい。

そう思いながらもひどい疲れのせいもあって船内で横になるとすぐに寝入ってしまった。


目を覚ますと船は若松瀬戸を通過中であった。

上りは福江を出ると奈留・若松は通過し青方に向かうのだ。


青方はさほど大きな街でもなく、静まり返っていた。

乗降客もそれほど居なかった。

12:30 青方を定刻に出ると少し腹が空いてきたので、軽食コーナーで五島うどんを食べる。

空腹だったのもあってまあまあ美味かったように思える。


甲板に出ると右手に野崎島が見えてきた。


ピーナッツ型の険しい山だ。