■石和川中島合戦2004
其の壱(前夜編)






今年も4月18日、日本最大の歴史祭りである石和川中島合戦が山梨県石和町で開催された。
今回それがしは前年に引き続いて播磨隊改め上杉隊にて参戦することとなった。

今年の隊士は以下の通りである。

大将:上杉播磨守定景
副将:碓氷六三郎殿
隊士:相模守太郎殿(実はお○ぐ隊浪人でもある…爆)
    左近殿
    碧雲斎殿
    むらやん(村上伊賀守義晴)殿
    飯綱武蔵守法達殿


今回は遠方の方も居られるし、その他諸々の事由から現地集合ということになった。

4月17日、この日は朝からいい天気であった。
昼に甲府のほうとう屋で宮下隊と上杉隊とで昼食ということだったので正午前に着けばよかったのであったが、前日よく眠れず、出発のこの日はかなり朝早くに目が覚めてしまった。
荷物も準備万端なのでとりあえず国立驛まで出かける。

驛に着いていつものように普通列車で行こうか特急を使おうかとしばし考え、接続のいい特急に乗ることにし、席もグリーン席にした。
隣の立川から甲府まで特急「かいじ」に揺られ、中央本線をひた走る。
それにしてもグリーン車はやはり快適である。
普通車に比べて車内も空いているし、ゆったりとしているのがいい。
それに料金も思ったよりも安いのがいい。



かいじの旅は1時間余りで、終点甲府に到着。
その前の石和温泉駅でかなりの客が降りた様子で、中に見知った顔もあった。

驛を降りて時間があるので近くを散策しようと、コインロッカーに荷物を入れていると、飯綱武蔵守法達殿が近づいて来た。
彼も同じ列車に乗って来たらしい。

観光するにもさほど時間もなかろうということで、近くの喫茶店で珈琲を飲む。

しばらくして、携帯の呼び出し音が鳴っていたので出てみると弾正殿であった。
同行していた明智殿が、それがしらしい姿を見かけて、念のため、電話してみたら案に違わなかったというわけであった。

電話が切れて程なくして弾正殿と明智殿が入ってきて、其の後弾正隊の面々がぞろぞろと入ってきた。
あっという間に店の半分以上の席が埋まってしまった。
ここでしばらく弾正隊の方々と雑談。

そうするうちに弾正隊の方々は昼食がまだだということで、もし宜敷ければということで我々が会食するほうとう屋をご案内する。

この時の予約は正午からであったが、予定の時刻になっても宮下隊の面々は現れず、先方に電話してみる。
すると道路の混雑や何かで遅くなるとのことなので、とりあえず我々先着の面々と弾正隊の方々は店に入り、弾正隊の方々には先に食事してもらう。

12時半頃、相模守車に同乗の面々と宮下隊が到着する。
ここでめいめい注文し、ようやく食事となった。

この時上杉隊・宮下隊・弾正隊の3隊合同の昼食会となり、食事しながら雑談する御仁、名刺を配りながら挨拶する御仁と何とも賑やかな昼食会となった。

そして昼食が終わったところで、全員の記念撮影をし、解散する。

この後、宮下隊の面々と相模守太郎殿は甲府市近辺の武田関連の史跡めぐりをすることになるが、それがし・飯綱武蔵守法達殿、碧雲斎殿、左近殿、明智殿は合戦会場で武芸の稽古をしている最中餡十郎殿以下の演出部隊の方々に挨拶をしにいくことにする。

ということで、それがし共は甲府驛から汽車で石和温泉驛まで行き、一旦宿に寄って荷物を置き、身支度(爆)をする。
身支度とは…?

それはこの後の写真をご覧になって頂きたい。



宿から合戦会場までは歩いて行くとかなりの距離である。
折からの強い日差しは辛いものがあった。

        歩くこと30分、ようやく河原に到着する。
ここでは演出部隊の方々が武芸の稽古の最中であった。

しばらく観戦して一段落するのを待ち、最中餡十郎殿に飯綱武蔵守法達殿や明智殿、左近殿を紹介する。

明智殿は演出の方々にいたく興味を持たれている様子だった。

この時の出会いが縁となって、以後彼は演出部隊の最中一家の一員として行動を共にするのである。


何と川中島に謙信公登場?!

というか現れるべくして現れたというべきか(爆)?
しばし雑談の後、今度は紋次郎隊の宿所・「富士野屋夕亭」へ。
ここは昨年それがし共が泊まった宿なのだが、今年は宮下隊と合同で泊まる関連で「風林閣」になったのである。
ここのロビーで紋次郎隊の方々にご挨拶する。
しかし、彼らも程なく出かけなければならないという。
こたつ隊の宿所にご挨拶に行くという。

それならばということで、それがし共も一緒にご挨拶に行く。

ここではこたつ隊・紋次郎隊・上杉隊と3隊の懇談会となり、和気藹々としたひと時を過ごした。
        和気藹々とした会談の模様


伊達政宗公に紋次郎殿が斬りかかる(笑)。


謙信公とツーショットでご満足なマコ殿(劇爆)
(提供:こたつ城主殿)


この後こたつ殿たちは宮下隊の方々にお土産をお渡ししたいという。
今回こたつ隊は上杉方(前年は武田方)なので謙信公の「敵に塩を贈る」という故事に則り、「塩豆入り大福」を武田方の宮下隊の面々にお贈りするのだそうだ(爆)。
さては前年にそれがしがやったことの受け売り乎?


(※ 実は前年はそれがしが武田方であるこたつ隊の宿所に出向き、赤穂名物「塩味まんじゅう」を贈ったのでした…笑。この塩豆入り大福も塩味まんじゅうも美味なので、もし旅先で見かけた際には是非試食をお勧めする)




というわけでここ風林閣にて謙信公(爆)立会いの下、上杉方こたつ隊より武田方宮下隊へ塩豆入り大福が手渡される「献塩の儀式(偽)」が執り行われたのであった(劇爆)。

この前後に宿に直行して来た碓氷六三郎殿と村上伊賀守義晴殿に挨拶する。




そして宮下隊と上杉隊の敵味方合同の前夜祭が始まったのであった。

19時、定刻通りに大広間にてそれがしと宮下殿の乾杯の音頭で宴会が始まった。
テーブルに所狭しと並べられるご馳走の数々に舌鼓を打ち、酒を飲みながら順々に自己紹介をしていく。
この時はその楽しさに写真を撮るのさえ忘れてしまっていた。
それが今悔やまれる…

ふと相模守太郎殿が居ないことに気が着く。
確か鎧を披露するなどと申しておったような…

それがしは今回持参せず、代わりに和服を着ていたのであるが、余りの暑さに着替えようと思い、退出し、作務衣に着替える。


宴会の席で抜刀する暴れん坊将軍太郎(爆)



満腹になったところで、それがし共はこの宿自慢の露天風呂に浸かり、日中の汗を流し、温泉ならではの香りや肌触りを心行くまで楽しんだ。

そして風呂に上がり、二階の一室で再び宴会となる。

ここでも大いに盛り上がったが、途中からそれがしが話題のネタにされてしまっていた。
それがしは麦酒・葡萄酒・日本酒など各種をたらふく飲んでいたので具体的にどんな話をしていたか忘れていたが、飯綱武蔵守法達殿が老婆の話をしていたのだけは覚えている…。

楽しい話に夜も更け、次の日のこともあるので床に就いた。



其の弐へ続く