■石和川中島合戦絵巻2002
◆「城攻め」の巻
4月13日(土)。
この日は朝からよく晴れていて日差しが暖かかった。
8時立川発中央本線の汽車に乗り武蔵から甲斐入りする。その途中城攻めなどをしてからと思い、それがしは予ねてより関心を持っていた岩殿城と要害山城を攻めることにした。
立川を出て約1時間、9時過ぎに大月に到達する。
ここから岩殿城は分りすぎるほど分るところにある。駅を降りて広場から駅舎を見ると背後に聳える恐ろしげな岩山がそうである。
|
大月駅前 |
荷物は電脳や三脚、書籍などを持参しているため殊の外重いのでコインロッカーに荷物を入れ、リュックのみにて登山する。
ここから麓までは何ということはなく、15分程度で着く。
|
岩殿山近景 |
然し此処からが問題である。何しろ急なのである。無論車が登ることなど出来よう筈の無い岩山である。息を切らしながら登っていくと資料館に到達した。
|
|
|
岩殿城大手口 |
|
途中にある門 |
|
|
|
|
|
|
櫓跡から大月市内を望む |
|
物見櫓 |
ここで展示されている写真を見ながら一休みし、さらに登って行く。恐ろしく急な坂道が延々と続いている。時計は10時を回っている。ということはもう1時間ほど歩き尽くめなのであろうか。
天然岩で作った城門をくぐるとようやく頂上に到達した。岩山の上とはいえ、馬場まであり、かなり広いものである。此処からの景色は最高によい。何ともいい気分である。
|
|
|
見るほどに険しい岩山 |
|
揚城戸跡 |
|
|
|
|
|
|
番所跡 |
|
本丸へ向かう道 |
|
|
|
|
|
|
岩殿城案内板 |
|
城内に建つ石碑 |
|
|
|
|
|
|
頂上から城下を望む |
|
|
さて本丸はどうなっているのであろうか?
何と此処は現在も有効に活用されているのである。
城内には守備兵などは居らず登山客などがいるばかりであるが、本丸には鉄製の狼煙台が立ち、武蔵方面から敵が攻めてくると狼煙台から電波を発して甲府の躑躅ヶ崎館の信玄公に知らせるというものであろうか。
|
|
|
本丸への道 |
|
鉄製の狼煙台 |
|
|
|
|
|
|
本丸 |
|
本丸から山々を望む |
ここから少し下に下っていくと井戸が二つ並んでいる。上が亀ケ池と呼ばれ人間用、下が馬洗い池と呼ばれ馬専用ということである。この井戸は廃城から数百年を経ているにもかかわらず今なお清水がこんこんと湧き出ている。
さて、他の場所も探検してみようとして城を下りていったそれがしではあったが途中から道に迷ってしまい、獣道を通って何とか街道に出ることが出来た。お陰でかなりの時間を無駄にしてしまった。これでは大月から特急あずさにでも乗らなければ甲府で昼食のほうとうを食べられないではないか。そう思い、歩きながら時刻表を見る。
うまい具合に丁度特急があるではないか。しかし時間が微妙で走ったならば何とか間に合うかもしれないといった感じである。そう思い、途中走ったのである。
が、何と、踏み切りに差し掛かったとたん遮断され、目の前を特急が走り抜けていくではないか。
遺恨なり、流星光底長蛇を逸す…
仕方なく11時47分発の普通列車に乗り12時40分に甲府に到着した。
甲府のほうとうは断念しすぐにバスで要害山城へ向かうことにする。
ここでまたコインロッカーに荷物を入れ、またもリュックのみにした。しかし要害山城行きのバスは異様に少なく13時20分まで待たねばならない。ようやく着たバスに乗り、揺られること約20分で要害山城の麓に着いた。しかし帰りのバスはその1時間後に来るのである。時間内に登頂できるのかどうか?
こんなに急ぐのには訳がある。実はこたつ殿御夫婦と石和健康ランドにて落ち合うことになっており、それがしの方は15時から16時の間に着くと告げていたからである。
とにかく挑戦あるのみ、とばかり城を目指すと途中に信玄公の生誕の寺で知られる万松山積翠寺があり境内に入ってみる。ここは臨済宗妙心寺派の寺であり、境内には信玄公生誕の際の産湯を汲んだ井戸が現存している。本堂の脇には信玄公の木像をまつる不動堂がある。
|
|
|
信玄公生誕の寺、積翠寺 |
|
信玄公の木造を祭る不動堂 |
|
|
|
|
|
|
信玄公の木造 |
|
|
|
|
|
|
|
|
要害山遠景 |
|
要害山近景 |
慌しく写真を撮り、城を目指して坂道を進み行く。山城のすぐ下には白亜の立派な根小屋が建っていた。付近には温泉も湧いているらしかった。
ここからせっせと登る。道は登山客向けに整備されており割合に登りやすい。
途中に郭、枡形門、石垣などがあり、なかなか遺跡の保存状況はよろしい。そう思いながら時計を見るともう14時15分である。
|
|
|
要害山入口 |
|
大手道 |
|
|
|
|
|
|
大手道 |
|
不動像 |
|
|
|
|
|
|
随所に残る石垣 |
|
大手道 |
|
|
|
|
|
|
本丸にある信玄公生誕の地を示す石碑 |
|
本丸 |
急がねばなるまい。小走りになって走って登りやっと頂上に登りついた。ここには信玄公生誕の地の石碑も立ち、庭石も残っていることからここでは相当文化的な暮らしが営まれていたのかも知れない。
登頂の喜びに浸る間もなく、さっさと写真を撮り、慌しく走って駆け下りた。その様子にすれ違った登山客の方もびっくりしていたようだった。
何とか14時40分のバスの時間に間に合ったものの、しばらく待ってもバスが来ない。よくよく時刻表を見ると、時刻の横に○印があり、休日運休とあるではないか。
何としたことか!
しかし武田神社から甲府駅まではバスの便が多く、武田神社までとにかく走ることにした。案内板によると確か2キロくらいだったようだが、果たして何とか武田神社に着き、バスで甲府駅まで行った。
|
|
|
信玄公次男武田信親(お聖道さま)屋敷跡 |
|
屋敷跡に建つ案内板 |
そこから汽車で石和温泉まで行く。そして駅からタクシーで健康ランドに到着した。
「前日の宴」の巻
|