◆「布陣」の巻

4月14日(日)。

ふと目が覚めるとまだ朝の4時だった。疲れていつの間にか眠りこけていたのであろう。

横になっても眠れないので持参してきた電脳で網につなぎ、各家頁に返事、書き込みなどをしていた。

あらかた書き終わって時計を見ると6時、外も明るくなってきたのでここで一風呂浴びようと思い、下の風呂場に行った。

朝風呂は実に気持ちがいい。ことに打たせ湯は最高である。電気風呂、樽風呂、薬草風呂、高麗人参風呂など色々試してみて、どれも良かったが、サウナにて心頭滅却したのはあとから考えて失敗だった。

このとき大量に汗をかいて水分が不足し、合戦中には喉の渇きで苦しめられることになったからである。

そして大広間にて朝餉の豚汁定食を食し、車に分乗して上杉方の陣地である石和南尋常小学校に向かう。

約定の時刻8時半を若干遅れて我々の隊は陣地に到着した。

門の内外は人馬で溢れ返っており、早くも武装している将士もいた。



人馬で溢れかえる陣地




こたつ殿、こたつ亭主殿はその武士の一団に挨拶をする。昨日の武士ナビの面々に混じって身の丈6尺はあろうかという偉丈夫がいた。

「おいどんが惟新でごわす。本日この合戦に参加する為に筑前より罷り越してごわす。おいどんが来たからには釣り野伏せの戦法で敵ば蹴散らしてやるでごわす。見ちょれよ。ちぇすとー!」

彼が惟新殿だったのか。それがしも挨拶をした。しかし、敵といってもどちらなのであろう??

正直この段階では彼がどちらにつくのか分っていなかったのである。後になって武田方で戦っていたことが分ったのであった。

さては彼の武勇を聞きつけた武田方の者に引き抜かれてしまったのだろうか? また、初めから武田方で敵情視察だったのだろうか?? 真相は明らかではない。

尋常小学校の大手門の前には北村殿、信(SHIN)殿、伽真亭(きゃまてぃ)殿、蓮(れん)殿が待って居られた。

こたつ殿の「遠路はるばる我が隊に加わりしこと誠に忝のう御座りまする。」との言葉に

「依怙によりて弓箭は取らず、筋目を以って何方へも合力致す所存で御座りまする。」と北村殿。

信殿たちも「それがしどもは戦の経験此れなく、初陣なれば何とぞ宜敷く御願い致しまする。」と。

大手門の前にて記念撮影をする。



石和南尋常小学校大手門前にて





しかし、この段階ではまだ大将が誰か決まっていなかった。

こたつ殿:「さすれば此度も大将を決めねばなるまい。おのおのがた、じゃんけんにて大将を決めようでは御座らぬ乎?」

こたつ亭主殿:「貴殿が大将では御座らぬの乎?」

こたつ殿:「それがしは生涯先陣、生涯末席が信条で御座るゆえ、大将は他の御仁に御願い致しまする。」

こうしてじゃんけんをし、大将となったのは信殿であった。

そして梵天丸亭主殿が副将となったのであった。

さて、今年はどの武将の役が貰えるのであろう乎?

体育館に行くと、着付け衆が大勢居られ、武装の手伝いをしていた。


武装する将士たち



さて我々の隊の割り当ての武具、甲冑をさがし、見つけると、

「これは!」

何と本庄越前守繁長ではないか。先年に比べると相当な出世だとこたつ殿はいう。

鎧櫃には「佐久間信盛」と書いてあった。

「佐久間?」

勿論、佐久間良子ではないことは明白だ。おんな太閤記(いつの時代だ?!)ならぬ「利家とまつ」で使っていたものであろう。

ここでめいめい着付けをするのであるが、歴戦のつわものたちは慣れて居るせいか早いものである。初陣の御仁たちは着付け奉行に手伝ってもらい着付けをした。実は影虎も初陣なのであったが、こつを覚えたのか、わりとすんなり着付けることが出来た。

さて、着付けが終わり、何か足りないと思ったら大事なことを忘れていた。それがし月代を剃っていなかったのである。

「失礼仕る。」とその場を退出し裏にて髪を整えた。

「定景は遅いな。何をして居るのだろう?」

程なくして戻ってきたそれがしを見て他の御仁はびっくりしていた。

「どうです、このちょんまげ! くるしゅうない!!」



抜刀するそれがし
(画像提供:こたつ殿)





しかし周りを見ると月代どころか、髷も結っている者は居なかった。

さて、支度が整い、外に出ると、信殿改め本庄越前守繁長殿(以後本庄殿と称す)が少し震えているように思えた。


本庄越前守繁長殿と副将



本庄:「うう、武者震いがするわい。」

副将:「殿、お気を確かになされい。謙信公も、死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなりと仰せでは御座りませぬ乎?戦は我らが致しまするゆえ、殿は采配を取られよ。」

伽真亭殿、蓮殿(以後馬廻り衆と称す):「左様ですぞ、殿。殿は我らが命を懸けてお守り致しまするゆえ御安心を。」

本庄:「あい分った。皆のもの、根性で攻めて攻め捲くるぞ!」

一同:「おお~!!」

そうこうするうちに戦奉行から武者溜りに集合との下知があり、各隊は集合し、ここで初めて上杉軍の全貌が分ったのである。中には遠くイスパニヤのハプスブルク朝の近衛兵、無敵艦隊の将兵、ぽるとがるの商人らも混じっており、その多様さに驚くばかりであった。


武者溜りにて整列する将兵 イスパニヤ兵を初めとする外国人部隊




      

しばらくして戦奉行が壇上に立ち、戦に臨んでの心構え、注意事項など(此れは最重要項目ゆえ絶対に聞き逃してはならぬことである)が将兵たちに伝達され、わが上杉軍の必殺の陣である車懸かりの陣の予行演習があった。そのあと、謙信公を囲んで冥土の土産にと、記念撮影をして頂いた。


車懸かりの陣の予行演習 謙信公と記念撮影





何という有り難いことで御座ろう乎?

そのあと、各人に兵糧が手渡され、昼食となった。

この時は談笑するもの、昼寝をするものなど、おのおの平和な時間を惜しむかのようであった。

また、寸暇を惜しんで剣術の稽古に励んでいる武士もいる。志摩の守殿と太郎丸殿だ。


剣の稽古をする太郎丸殿と志摩の守殿





それがしも昼食を摂った後、しばらく談話していたが、こたつ殿(実は影の大将)より冥土の土産に兜を試着して見ないかとの呼びかけがあり、試着させて頂いた。

とは云ってもそれがし兜を着用したことが無かったので、隣にいる須田殿(おめぐ殿)の家老、紋次郎殿の被っているところを見ながら兜の緒を結んだ。この時、紋次郎殿はこたつ殿とそれがしに間近で見つめられて照れていたようだ。

被ってみたところで敦盛を舞う。

「人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり、一たび生まれて滅せぬもののあるべきや…」



敦盛を舞うそれがし
(画像提供:こたつ殿)




「川中島」の巻