◆「川中島」の巻

と、その時、戦奉行より召集の指令が全軍に下った。
これより急遽ここを出立するのだという。

武田方に放っておいた忍びの報せにより、武田方は我が軍の陣地である石和南尋常小学校を急襲するつもりのようである。ここで我が軍を一気に叩き、出てきたところを総攻撃をかけて全滅させる、いわゆるきつつきの戦法というやつか。おおかた山本勘介あたりが考え出したことであろう。

こちらは奴らの裏を掻いて出立し然るべき場所にて対決するのである。

謙信公が出立の掛け声を全軍にかける。

謙信公:「皆の者、出立じゃー!」

一同:「おー!!!!」

しかし、敵方には知られてはならない。物音を立てずに進まねばならない。行軍途中の公園には馬防柵が仕掛けられていた。さては奴らの仕業か?

鞭聲粛粛として夜河を過ぎ、進み行く上杉軍。

鞭聲粛粛夜河を過る 隊列を組んで威風堂々と行軍する
(画像提供:こたつ殿)



      

街道はいつもながら激しく人馬、駕籠が行きかっていた。しかしあまり目立つことをすれば敵方に察知させることとなるため、通りの隅を隊を組んで粛粛と進んだ。

どのくらい歩いただろうか? 程なくして河原に到着した。

と、暁に見る、千軍の大牙を擁するを

の中に赤備えの大軍団が見えた。奴らも此処に来ていたのか?


あ、あれは?! 暁に見る千軍の大牙を擁するを
向こうに見えるは武田の将たち 武田赤備えの全貌

      

大方、我が陣地を急襲したものの、もぬけの殻だったため、急いで作戦を変更したのであろう。

錚々たる陣容である。とその中に見覚えのある旗が見えた。米倉丹後守重継?、三浦介星友?

もしや?

よく見ると確かに会ったことのある顔があった。宮下帯刀左衛門尉殿、小笠原土佐守長義殿、米倉丹後守重継殿、三浦介星友殿、彼らは確か前の晩に訪ねた上杉本陣の中にいた者たちである。そうか、武田方であったのか。さらに驚くべきことには何と、北條氏家中の大庭景平殿も武田方として参陣していたのである。小田原提灯が目印である。


はて?どこかで見たような顔が??



両軍の兵士の布陣が終わったあと、両軍の戦奉行(実行委員長)からの挨拶があった。

と、凄まじい轟音が鳴り響いた。



向こうも鉄砲をもっていたのか?





武田方も大筒を持っていたのか?

こちらも報復攻撃に大筒を撃つ。

ちょっと待て。まだ合戦は始まって居らぬぞ、とばかりに両軍制止の触れが出て鉄砲隊は引き上げた。

というのは両軍とも神聖なる儀式がまだだったからである。

武田方では三献の儀、我が上杉軍では武締式が執り行われた。

途中上杉方から武田方の陣地へと塩を大量に積んだ荷車が入っていく。


武田方へ荷車が入っていくぞ なにやら慌しく赤母衣衆が行き交う


      

これで石和健康ランドの塩サウナの謎が解けた。あの塩は上杉方から贈られたものだったのだ!

その間我々は黙ってその様子を見守っていた。



武締式 武締式
武締式



謙信公:「其の方らに毘沙門天の水を遣わす。心して敵に当たれい!」

諸将:「承知仕りました!」

この時、うーろん殿、志摩の守殿はじーや殿のいる別働隊に合流するため、隊を離れた。

そして合図の太鼓が鳴り響き、突撃の下知が下った。

今こそ我ら上杉軍の車懸かりの陣で武田を蹴散らしてやる。

「突撃ー!」

 「おー!!」

鬨の声も勇ましく、怒涛の勢いで武田軍に突っ込んで行った。

武田勢はそれに驚いたのか、上杉勢を避けて二手に分かれる。まるでモーゼの十戒だ…

この時は戦わずして陣地に帰還した。

そしてまた両軍静止し、睨みあいが続く。


にらみ合いが続く両軍





この時すぐ前の列にいた相模守太郎殿が現在宮下隊が何処に居るか教えて呉れた。何でも香坂弾正の配下となっているらしい。

ふと、突然頭を白布に包んだ僧形の武者が馬に乗って只一騎で武田方に向かって駆けていくのが見えた。目指すは信玄の首のみ!

しかし邪魔が入り討ち果たすことが出来ず、退却を余儀なくされた。それがしも写真機にて記録せんとするも、大事な瞬間を逃してしまった。無念なり。

遺恨なり、十年一剣を磨き、流星光底長蛇を逸す…

ここで再び鉄砲隊の出番である。激しい銃撃戦である。硝煙が物凄い。



「総攻撃~戦いの後」の巻