■上越謙信公祭2003
其の弐(宿~登城)

夕べはかなりの量飲んだにも関わらず、この日の朝は割りとすんなり起きることが出来た。
宿の1階にある食堂でバイキング方式の朝食を摂り、しっかり腹ごしらえをする。

そして一旦部屋に戻り荷物をまとめたついでに鎧下に着替え、小具足を纏い、荷物を持って一階のフロントでチェックアウトをする。

小具足で現れたそれがしを見て周りはかなり驚いていたようだ…
しかし、それはお約束ということで…(笑)。

うーろん殿のお車に乗せて頂き、春日山尋常小学校へ向かう。


ここで当日の朝に夜行バスで到着した碧雲斎殿と春日山旅館に宿泊した猛馬飼育係殿、水雲斎殿と落ち合い、着替え場所の体育館で記念写真を撮る。

右からあゆみ殿、それがし、じーや殿、碧雲斎殿、水雲斎殿。


ここでまだ謙信公が到着されていないことに気付く。

「もし我らが謙信公が武田方の間者に討たれでもしたら何とする? ここはそれがしが謙信公を御守りしなければ…」

ということで、それがし自ら影武者の役を買って出ることにする。


上越市職員の方:
「これはこれは御屋形様。今日は御機嫌麗しゅう…」

それがし:
「うむ、御役目大儀。苦しゅうないぞ。」


どうやらこの時それがしは完全に謙信公だと思われておったようだ(爆)。

だが、この後役員の一人に正体を見破られてしまったのであった(泣)。


(提供:惟新殿)


謙信公の影武者を務めるそれがし
(提供:山内兵馬殿)



信玄公の影武者を務める猛馬飼育係殿
我々がこのようなことをして遊んでいるうちに、兵たちは大分集まってきた。

ここでプロデュースの丸竹産業さんの社長以下のスタッフが挨拶をする。


さて、着替えに取り掛かる。

と、米屋殿が武田の軍装をしていることに気付く。

この日の朝にだめでもともとということで、武田方に代えて欲しいとスタッフに交渉。

するとちょうど武田方から上杉に代わりたい方がいるとのことでその人と入れ替わり、米屋マジックの完了となったとさ、めでたし、めでたし…。


ふと見ると、向こうに見たことがあるような御仁がいることに気付く。

もしや紋○郎殿?!

上越まで幕府の某要人を追ってきたのであろうか?

だが、彼は相模国の御所で動かざること山の如くじっとしていたそうな。


武装が完了したところで、少し早い昼食となる。
各自弁当をもらい、めいめいの場所で食事し、しばしまったりとする。


さて、屋外に出て、本物の(爆)謙信公にお目通りし、影武者任務の無事終了を御報告する。

それがし:
「先ほど影武者となりて曲者を見張っておりましたが、めぼしい者は居らなかった模様…」

謙信公:
「ようやって呉れた、褒めて遣わす。褒美に一緒に記念撮影をして進ぜようぞ。」

それがし:
「身に余る光栄、有り難く頂戴致しまする!」

ということで謙信公と記念撮影をさせて頂いた(爆)。

    


近くに「長尾政景」の旗があったので、一寸だけ「長尾政景」になりきってみる。

長尾政景(?~永禄7・1564)
越前守。上田長尾氏の当主で坂戸城主。天文19(1550)年上杉家の老臣・宇佐美定満の策謀により長尾景虎に反旗を翻したが、翌20年に講和し、景虎の姉・仙桃院を娶る。
永禄7(1564)年の夏、宇佐美定満と坂戸城下の野尻池で舟遊び中、酔って池に転落し、溺死した。
ただこれには異説もあり、舟遊びの相手は宇佐美ではなかったとも云う。
一子・景勝は謙信(景虎)の跡を継ぎ米澤藩祖となる。
(提供:肥前守左馬之助殿)

表に出ると、何と武田の赤備えの軍装をした碧雲斎殿がそれがしを狙って待ち構えていた。

石和では上杉方の大将を務めたにも関わらず、さては寝返ったか?

あわや小戦闘となるところだったが、武田方の招集がかかったことによりこの時は干戈を交えず(爆)。


謙信公と柿崎景家(惟新殿)

謙信公:
「戦の時はその方を頼りにしておるぞ」

柿崎景家:
「はっ! 生涯先陣、生涯末席の気概にて相務めまする!!」



左より弾正殿、謙信公、それがし

弾正殿・それがし:
「御屋形様、身辺の警護は我らにお任せ下さりませ!!」
そして、殺陣のやり方、陣形などの説明を受け、立ち合いの稽古をする。

武将・雑兵の区別無く入り乱れ、童心に返ってちゃんばらを楽しむ。

それにしても信玄公には護衛の者も居らず、たった一人で群集の中に投げ出されているのは何か哀れさを誘う…(泣)


殺陣の稽古を一通り終えるとひとまず解散し、体育館で昼寝する者、雑談する者など、皆思い思いに過ごし、出立を待つ。


そしてどのくらい待ったのであろうか…

我々は召集がかかり、出立することになった。

小学校から春日山城上までは昨年と同じ自衛隊のトラックにて行く。

そう、今年も戦国自衛隊なのである(爆)。

遠くからトラックの上で大音声を上げておる者がいる。

米屋繁霞殿である。

「イチバーン!!」

そういい残して武田の兵たちを乗せたトラックは走り去って行った。


「やつらを逃がすな、追え!」

武田方のトラックを追う我々。

「あの者どもはどこに向かおうとしているのだ?!」

何と彼らは春日山城に向かって行くのである。
そのうちに我々は彼らを見失ってしまった。


春日山城上の銅像前に到着し、トラックから降りると、春日山神社の境内では武締式を行っていた。

「この中に武田方の兵たちが潜伏しているに違いない、抜かりなきよう探索せよ!」

との下知のもと、必死の探索をしているところへ…


       「ぬおぉーりゃー! 覚悟ォォォー!!」

背後から抜刀して襲い掛かって来たのは何と武田方の真田幸隆であった。

「闇討ちとは卑怯なり、返り討ちにして呉れむ!!」

二天一流で討ち果たすそれがし。

「ぎゃあー!!」

と断末魔の叫びとともに息絶えた(爆)。


「よくやりましたな。では敵将を一人討ち取ったところで、乾杯致しましょうぞ。」

と我が本庄槍隊の面々は麦酒で祝杯をあげる。
其の参へ