■米澤上杉まつり2004
(其の参・武締式~前夜祭)

この時の武締式に出演する面々は以下の通り。

上杉謙信公

【先手の大将】
柿崎隊を先陣とし、武田方の先手、前備を崩し副将武田信繁を討ち取った猛者ぞろいである。

柿崎和泉守景家
新発田因幡守治長
島津左京進規久



【二の見の大将】
上杉軍の先手の側面をついてくる武田軍を蹴散らした勇士たちであり、中でも竹俣広綱は馬を乗り倒し兜を打ち落とされながら奮戦した猛将である。

水原壱岐守隆家
斎藤下野守朝信
竹俣広綱



【前備の大将】
敵の各隊を突き崩して奮戦した大将たちであり、中でも松本景繁の武勇は素晴らしく、謙信公から感状を賜っている。

須田相模守満親
松本石見守景繁
下条薩摩守実頼



【左備の大将】
武田方の勇将両角豊後守の一隊・内藤昌豊の一隊を包囲し、ついに両角豊後守虎定を討ち取った猛者ぞろいである。
中でも安田長秀はその功別して大きいというので謙信公から感状を賜った。

本庄越前守繁長
安田治部少輔長秀
長尾遠江守藤景



【右備の大将】
敵の左備武田逍遥軒の大軍を突き崩し、後備の跡部・今福・浅利の三隊を蹴散らした豪将たちである。

新発田尾張守長敦
山吉孫次郎豊守
加地安芸守知綱



【本陣】
信玄の旗本と激突、さらに武田軍の右備武田義信、望月甚八郎の二隊及び左備の二隊とも渡り合い、山本勘助晴幸を討ち取り、信玄を負傷させるという、史上に残る激戦を展開した猛将たちである。
中でも色部勝長は感状を賜った。

高梨源太郎政頼
大河駿河守忠秀
鮎川摂津守清長
井上河内守清政
綿内内匠頭広綱
村上左衛門尉義清
色部修理進勝長
宇佐美駿河守定勝


【後備の大将】
激戦する本陣を守って敵軍を切り崩した勇士たちであり、中條藤資は謙信公から感状を賜った。

中條越前守藤資
古志駿河守秀景
大崎筑前守高清



【後押の大将】
妻女山から駆け下りてきた高坂弾正率いる一万二千の大軍をわずか二千の兵で千曲川の十二ヶ瀬で防ぎ、本陣を援護した。

甘粕近江守景持


【小荷駄の大将】
上杉軍の食料弾薬の輸送を担当した。長年謙信公の女房役を果たしてきた智将でもある。

直江大和守実綱


【僧侶】
御旗守

安養院


【砲術隊長】
上杉の雷砲として恐れられた上杉砲術隊の隊長である。

丸田勘解由





式に先立ち、謙信公は護摩堂に入られる。
ここで五檀護摩を行い、このことによって自我を払い、精神を統一して神仏の啓示を得られるのだという。





そして各武将の集合を告げる「総登城」の太鼓が打ち鳴らされ、28将たちは武締式会場に向かう。





「はて?
あの鎧はどこかで見たことがあるな?! もしや惟新殿もこの場に居られるのか?」

一瞬そう考えたがすぐに人違いと分かった。
そう、あれは惟新殿の影武者であったのだ(爆)!


そして上杉諸将全員が集合完了し、その全貌が明らかになったのである!


       
上杉軍団の偉容
威風堂々と構える謙信公



そして謙信公を始めとした諸将が見守る中、侍組の子弟から成る「青龍隊」の面々による演武が行われ、次世代を担う若者たちの心意気を示す。


続いて謙信公の親衛隊・馬廻組槍隊の武者が槍術を披露し、敵軍を突き崩す姿を舞って士気を鼓舞する。

          


さて、いよいよ、軍神勧請の儀へ。

奏楽のあと、軍奉行による軍神勧請の合図、そして砲術隊長の号令の下に砲術隊の発砲が行われる。


       上杉砲術隊の面々が入場する。
赤い陣羽織が映えており、艶やかである。


そして、順々に射撃する。

漆黒の闇にこだまする轟音、それは辺りを揺るがし、隣接する伝国の杜の建物にも反射し、余韻の音を立てる。

そして、会場のそこかしこに漂う硝煙の臭い…。


射撃は直立、立て膝、伏せの姿勢で数発射撃する。



そして、謙信公は青龍隊に供奉され、神前に進まれ、敵軍調伏の祈願をする。





続いて「五沾水の儀」が執り行われる。

神前に供えた水は神の水であり、これを諸将たちに分け与えるというものである。
この水を受けることによって神に代って敵を討つ信念が固められるのである。


諸将たちは神前に集まり、柿崎和泉守景家を先陣とした先手の大将たち、二の見の大将たち、前備の大将たち、左備の大将たち、右備の大将たち、本陣の大将たち、後備の大将たち、後押しの大将たちの順に何人かずつ謙信公の前に進んで五沾水を賜り、続いて小荷駄の大将、砲術隊長、軍奉行色部勝長、軍使の順に五沾水を賜り儀は滞りなく終了した。
      


この後、賜旗が先手の大将・柿崎和泉守景家に手渡された。
柿崎は旗を手渡されたあと、観衆の前を向き、高らかに旗を縦横に振り回す。







そして二の見の大将には上杉家の家宝、「八幡の御弓」が手渡される。






次に帝から賜った「天賜の御旗」が御旗守・安養院に手渡されたあと、謙信公が出陣を前に作られた和歌の朗詠がなされた。





そして出陣へ。

砲術隊長:
「準備よし」

軍奉行:
「御屋形様御下知。各各御起立召されい!」





謙信公:
「出陣!!」

軍奉行:
「出陣の号砲を撃てい!」





軍奉行:
「出陣軍螺!」

軍奉行:
「只今より我が軍団は川中島に向かって出陣する。ここに各隊の必勝を祈願して押前の鬨を上げる!」

軍奉行:
「御太刀を召されい!」

謙信公:
「えいえい!」

全員:
「おう!! おう!!」

軍奉行:
「御太刀を納めい!」

軍奉行:
「発進!!」





かくして全軍が会場から退場し、これをもって武締式は終了した。

と、終わった直後に横に座っていた人に声を掛けられた。
隣の一群は「一義会」と書いたパーカーを着ていた。
確か彼らは越後上越の方だったような…

其のうちの一人はそれがしの顔に見覚えがあるのだという。
それがしはさほど、個性的な方だとは思わないのであるが、もしや昨年謙信公の影武者をしていたことや、過去二度謙信公祭に出ていたことで顔を覚えられていたのであろう。
再会を喜び合い、また謙信公祭で会おうと約して、その場は別れた。

このあと、別なところに居た臨雲白龍殿と合流し、車で鯉料理の店 「鯉よし」に移動し、夕食兼前夜祭が執り行われた(といっても飯綱武蔵守法達殿、臨雲白龍殿、のりび殿、それがしの4人だけではあったが)。

まずはのりび殿とそれがしは麦酒で、お酒の呑めない飯綱武蔵守法達殿と車を運転されている臨雲白龍殿は軟飲料で乾杯する。

実はそれがし共は鯉料理というものは食したことがなく、どういうものが美味であるのかも皆目分からなかったので、店の人にお勧めを適当に見繕って頂いた。
そして、次から次へ鯉づくしの料理が出てくる。

まずは鯉こくである。
ねっとりとした白子はこってりとして実に濃厚な味わいである。
そして鯉の甘露煮、鯉のあらい、何と鱗のついた皮の唐揚げまで出てきたが、どれも実に美味である。
それがしは魚はさほど食する方ではないのであるが、今までこれほど美味い魚を食したことはないと思った。

まずは米澤で鯉の養殖を提案され、広められた上杉家10代・鷹山公には心より感謝しなければなるまい。
そういえば鷹山公の時代には天明の飢饉に見舞われ、全国的に多くの餓死者が出たということものの、米澤藩においては一人の餓死者も出なかったということであったが、それもなるほどとうなづけよう。

歓談も弾み、美酒、美肴に酔う頃、やーたろー殿より電話がかかってきた。
この日の昼、彼は上越の春日山城を探検していたとのことで現在越後におり、これから夜を徹して米澤に向かうという。
何とも大変な行軍である。
各自しばし話したあと、再び歓談へ。

そうするうちに夜も更けてきたのでお開きということにし、解散。
それがし共は宿にもどり、身を清めたあと、就寝した。

其の四へ