■2002謙信公祭(其の伍)  

※この頁の写真はすべてまめのすけ殿より頂いたものを掲載させて頂きました。
まめのすけ殿、誠に忝のう御座りまする!

一方、この戦の様を見ていた山本勘助は自ら提案した啄木鳥の戦法の失敗に自責の念にかられ、信玄の前にて自ら謙信を討ち取りに行くことを申し出る。


そして乱闘の末…




  
壮絶な最期を遂げたのであった…(合掌)



そしていよいよクライマックス、謙信・信玄の一騎討ち「三太刀七太刀」の場面である。

上杉謙信:
「毘沙門天は我に味方せし!今こそ信玄の首を取って呉れるわ!!」

武田信玄:
「単騎で我が武田本陣まで駆けてくるとは褒めてやるが、返り討ちにして呉れようぞ!!」




        
謙信公が去ったあと、信玄は上杉方に放った忍者の口から、山本勘助、諸角昌清、武田典厩討死の悲報を耳にする。

武田信玄:
「何?!おのれ、謙信め!!別働隊はまだか?!」

其の時東城砦の丘の上から高坂隊が松明を掲げて下りてきた。

高坂弾正:
「御館様、只今到着!ご安心くだされい!」



武田別働隊12000が本隊に合流したのを知った上杉軍は前述の如く鉄砲隊、槍隊…の順に兵を繰り出し、最後は甘粕隊をしんがりに全軍車懸かりの陣で武田方を蹴散らし、善光寺に退いて行ったのであった。。



          



そして合戦は終わった。

◆ナレーション

「これが川中島合戦の中で、また日本の合戦において最も激戦と語り継がれている、八幡原の戦いである。
この戦いで上杉軍の死者は3400人余り、負傷者6000人余り、武田軍の死者は4600人余り、負傷者は実に13000人に及んだと言われており、後に初度の槍は十に十謙信の勝ち、後の軍は十に七信玄の勝ち。
つまり前半は100%謙信の勝ち、後半は70%信玄の勝ちと云われている。」


「この後、上杉軍は善光寺にて、武田軍は八幡原にて、双方自軍の勝利を宣言し、勝ち鬨を上げたと云われている。」


「この後、北条・今川の包囲網に苦しんだ信玄に塩を送った話は余りにも有名であり、その義の厚さは誰もが感じることであろう。
また、後に天下人・織田の精鋭、柴田・前田・明智・佐々の軍勢をいとも簡単に下したが戦国の風雲を正義の名の下に駆け抜けた上杉謙信公はその後静かにその生涯に幕を下ろしたのである。」




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